2005年11月30日 9:09(初稿)
本文章は、「角川Ζガンダム感想文キャンペーン」に応募したものの、
見事に落選したものに、加筆修正を行ったものです。(2006年1月22日)
<序章>
機動戦士Ζガンダム。
これは誰がなんと言おうと、機動戦士ガンダムの正真正銘の後継作品であった。
この後に生まれた幾多のガンダムという名の作品群。
富野監督の手によるものはもちろん、その他の人の手によってまさにバラエティー豊かなガンダムが
我々の前に現れた。
それらの新ガンダム達が生まれ出てこれたのは、(もちろん大河原氏の手によるMSVや
ガンダムセンチュリーの影響もあろうが)すべてが機動戦士Ζガンダムがあったから。
しかしながら、後継者・Ζガンダムを生み出すにあたって富野監督には相当なる苦しみが
あったことを、我々は最近になって知らされたのであった。
機動戦士ガンダム20周年を記念して作られた∀ガンダム。
その後に出た富野監督著の「∀の癒し」に、Ζ当時の苦悩・苦痛が描かれていたのは
ある意味衝撃的だった。
そして、その後のNHK「トップランナー」のゲストに富野監督が出たとき。
当時はちょうど劇場版∀ガンダムの公開時期。
私は幸運にもNHKスタジオの観客席にいることできたのだが、
目の前で生の富野さんのΖに対する激白を見、かねて立っては消えていたΖ映画化の噂は
信じられないものだと悟ったものだった。
ところが、にわかにΖ映画化は噂ではなかったこと期待させる動きがあった。
日本テレビ系(札幌テレビ STV)の深夜番組「爆笑問題のススメ」に富野監督が出たときだ。
時たま挿入される監督の仕事姿。そのペンの先に描かれていたコンテがΖのものだと騒がれた。
私も何度もHDDレコーダーを止めてはそのキャラクターの正体を考察したものだ。
時は流れて2004年春。Ζガンダム20周年を前に、正式に映画化が発表された。
その時の感動は筆舌にしがたい。(文章にしているが・・・笑)
と言うよりも、自身の著作、そしてTVにて本当に思い出したくもなさそうに
正直に当時の気持ちを独白していた富野監督。
その姿が目に焼き付いていたので、どんな風にΖが帰ってくるのかが楽しみだった。
ガンダム20周年ではまったく新しいガンダム=∀だったのに対し、
Ζ20周年ではそのΖ自身で我々を楽しませてくれるという。
期待半分以上、ちょっとの不安で待ち続けた一年だった。
以下、劇場版への先入観・予備知識ゼロで「機動戦士ΖガンダムII 恋人たち」を鑑賞。
雑誌やweb解説類も極力読まず。TV版Ζに関する知識+α(「星を継ぐもの」で得た新訳知識少々)
で以下を記述。
<本章>
松竹の富士山が消えた途端、いきなり本編が始まって驚いた。
「星を継ぐもの」は導入的な映像+Metamorphoses〜メタモルフォーゼ〜が流れて入って行ったので
今作も同じようにGacktの音楽で始まると勝手に思いこんでいたのだ。
これまで、このサイトの色んなコンテンツで述べてきたように、「水の星へ愛をこめて」とΖの
結びつきが強くイメージされ長年過ごしてきたので、新ΖのOP曲は気になってたんだ。
でもよくよく考えれば、「機動戦士ガンダムII 哀・戦士編」でのテーマ曲・哀戦士は
オープニングではなくクライマックスで流れてこそだったのだから、伝統的には「星を継ぐもの」
が異端だったのかも知れない。
いや、テーマソング云々だけではない。「人類が増えすぎた人口を〜」的に講釈が
入っても良いのではと思った。または講釈とは言わずとも、前作のダイジェスト的なものが
入るかと思っていた。いきなり本編ではは見る者を焦らせるものだ。
アウドムラの展望(?)室にいるカツがベルトーチカの複葉機を見つけるところから
始めるなんて普通はできないと思う。
前作との繋ぎを考えたら普通はせめてベルトーチカが着艦したところから描きそうな気がするが。
しかしながら、いきなりシャアとアムロ、そしてカミーユの協力プレイを描いてしまうことにも恐れ入るし、
何気なくアムロとシャアの初共同作業を描くには確かに良いアイディアだと関心する。
関心と言えば、恐れ多いが、ベルトーチカの複葉機がアウドムラの気流に巻き込まれるなんて演出も良かった。
この20年の間に少なくともガンダムの影響を受けた結果、航空宇宙工学をかじった自分には感慨深げであった。
さて、航空工学あるいは宇宙工学など動力学を学んだ人間に感動的なシーンがもう一つある。
スードリのブースターでMk-IIが第一宇宙速度を脱し、それを間一髪でブライトのアーガマが
Mk-IIを引っかけるシーン。現実問題として、上空を飛行する航空機から宇宙へ向けて
ロケットを発射する理論はあるわけで。それを描いているのが感動的なわけだが。
以上は工学的な見地から感動的なのだが、実際問題としては、ここでは何としても
宇宙に戻るチャンスを活かすためにカミーユ、アムロ、そしてフォウが織りなすドラマが
本来の感動ポイントだろう。
ちょっと寄り道をすると、今作では何としてもカミーユを宇宙に戻すというカラバ(エゥーゴ)
の意志が伝わりにくかったと思う。それを代弁したのが、カミーユの気持ちを読みとったフォウが
媒介になり観客に伝えてきたというのは、ニュータイプキャラクターの新たな活用方法だろうか。
話を戻すと、なかでも身を挺してカミーユを宇宙へ送り出すフォウの姿が印象的だ。
ところがだ。今作ではこともあろうかベン・ウッダーさんはフォウのこめかみに銃口をあて、
そのあとで銃声がなる。この2つの映像が100%繋がっている保証はないが。
あるいは制作者の意図的な演出に我々観客が見事に騙されたのか。
このシーンでフォウが死んでしまったように見える。
特にこの時のベン・ウッダーの強化人間はここを撃っても平気なのか的セリフが思わせぶりなわけで。
ΖIIIのキリマンジャロでカミーユとフォウは劇的な再会ができるのだろうか?
だが、あくまでサブタイトル「恋人たち」は今作のものだから、恋人ニュアンスの物語は
ここで終止符を打ち、次作に持ち込まないためにフォウの息の根を止めてしまったのだろうか?
確かに映画という限られた時間で、とくに次作はエゥーゴ、ティターンズ、アクシズの三つ巴に
重きが置かれるだろうから、余計な要素はそぎ落とされてしまうのだろうな。
別にフォウのファンではないがすごく気になったシーンの一つである。
さて、話は前後するが、ミライさんがベン・ウッダーの人質にならなかったり、
所々オリジナル(=TV版)と異なっている点が気になったのは事実である。
演出上・時間の制約上仕方のないこともわかっているのだが。
それでもちょっと納得できないと言うか、自分の記憶・知識を疑ってしまったことがある。
ルオ商会のステファニー・ルオがウォン・リーの娘だというくだり。初めは我が耳を疑ったが、
一回目も二回目見たときも、また一緒に見た友人まで聞き間違えるはずはないので。
パラレルワールドとしての新訳Ζでは娘なのだろう。これに関しての考察は後述する。
またここは踏み込んではいけないのかも知れないが・・・。
どうしてもオリジナル版と比較してしまい、その中でも特に気になるのはキャラクターの声である。
新旧の作画が交互に現れるビジュアルよりも遙かに気になった。
20年の時を経ているし100%同じ声優さんが使えないのはわかるのだが。
どうしてもアムロが古谷さんでシャアが池田さん、カミーユは飛田さん、ハマーンは榊原さんといった
イメージが強いように、例え主役級でなくてもキャラクターと声色は結びつきやすいものだ。
声がキャラクターの性格を決めている部分もあると思うし。
うまい下手は抜きにして一番気になったのがサラである。
今作は思った以上にサラのセリフが多かったように思う。
それ故サラばかり目立ってしまったのでないか。シロッコがしゃべらない・(エゥーゴと)接しない分、
シロッコの代弁者としてサラのセリフが増えたのだろうが。
サラ自身、自分を称して”子供”と言っていたのに、ちょっと子供っぽさとは違う異質さを感じた。
同じ新声優なのにフォウよりもサラの方が目立った気がする。
2006年1月、NHK総合では池脇千鶴主演の「火消し屋小町」というドラマの再放送をやっている。
たまたま見たのだが、ドラマの中の演技とサラのセリフの言い回しが全く同じなんだよね・・・(悲)
またちょっと声優がらみだが。マウアーさんも声色に異質を感じた、
と言うよりも性格そのものが変わっていたようで驚いた。
オリジナルのマウアーさんは気丈な女性ながらも影から男を支えるというか、
日本女性的であったイメージだが。今作のマウアーさんはどちらかといえばライラ・ミラ・ライラ的な
男勝りな強さ(=好戦的)であったように思う。性格的に異質を感じた。
って言うかですねー、順番的にマウアー→ハマーンって登場じゃないですか?
マウアーの声が変わっていてショックだったのは、もしやハマーン様まで声変わってしまったのでは?
と思ったから(笑)
異質さ、というよりも違和感を感じたのは、満を持して登場したハマーン様が
ノーマルスーツを着ていたこと。
あの白いガザCは、「そういうアイディアがあったか!」と感心するほどのおまけ映像だった気がするが、
それに搭乗するハマーン様がノーマルスーツを着ていたのはある意味、
ステファニー・ルオとウォン・リーの父娘以上の驚きがあった。
ハマーンにノーマルスーツを着させたのはジュドーが唯一だと持っていたんだけど。
冗談は抜きにして”シャアを迎えに来た”という名目とノーマルスーツ着用に
因果関係があるように思えてならない。
せっかくなので触れるが、ハマーンがアポリーのリック・ディアス、カミーユのΖ、
そしてクワトロの百式に尋問していたのは面白すぎて考察するのもバカバカしくなる。
ただ、レコアのメタスやエマのMk-IIではなかったのは、女性と男性という対比が
欲しかったためであろうか?
ま、アポリーはシャアと一緒にアクシズから来たからというせいもあろうが、あそこでアポリーが
劇中で初めてフルネームを言ったことも納得できるし、カミーユを称して「若いな」「正規兵ではない」
と見破らせたのも興味深い。
レコアをあそこに配せなかったのは、シャア−ハマーンというこの段階では未知の異性関係に
波紋を落とす可能性があったためだろうか?
こういうガンダムエースからのフィードバック的ネタは面白いなぁ。
では、せっかくハマーンとシャアの線から副題の「恋人たち」に話題が近づいたので、
いろんな恋人たちを取り上げて評してみたいと思う(笑)。
・恋人たち1
アムロ−ベルトーチカ;
アムロはベルトーチカと急速にくっつきすぎ。
恋愛ってそう言うものなんだろうか(笑)?
それとも、制約時間上端折っているからそう見えたのか?
・恋人たち2
カミーユ−フォウ;
ここも突然な感じだ。
実際、私はフォウにそんなに魅力感じないのだが。
小学4年で見たときも、中1で再放送見たときも、大学3年時に千葉テレビで見たときも、
スカパーで見たときも。あの二人が惹かれ合ったのは、名前に対するコンプレックス
という共通の話題があったからだろうか?
それとも、今作でカミーユが語っていたように、不遇の育ちが共通項だったから?
単にニュータイプ同志が惹かれ合ったとは言いたくない。
・恋人たち3
クワトロ−レコア;
この二人に関してはせっかくなので大いに描くべきである。
TV版では語られなかったシーン(新規カット)ほど我々を楽しませてくれるものはない。
特に人間関係は。
「星を継ぐもの」のリフレッシュルームでのエマへの軽い尋問とその後の食事へ誘うシーンも良かったけど。
TV版への補完的な意味で重要。これで、ΖIIIでもきちんと描かれればシロッコへ流れた
レコアが理解できるかも知れない。
・恋人たち4
ブライト−ミライ;
恋人たち、ではなく夫婦だけど。
ビデオレターが描かれていて良かった。戦術会議よりもビデオレターに夢中になっている
ブライトは最高である。
ただ「閃光のハサウェイ」のオチを知っている身としては、彼らのミライを思い切なさを感じ得ない。
・恋人たち5
ヘンケン−エマ;
ここは恋人には至ってないヘンケンの一方的な想いだが。
シャアーレコアの関係が描かれて鮮明になりつつあるように、
なぜエマさんがラーディッシュに移ったかもわかって良かった。
それにしても、ヘンケンのカツを引き取る代わりにエマをラーディッシュ付きに
頼んだ後のクワトロのボケはあって良かったのだろうか?
ところでエマは誰に好意を持っているのだろう?「結婚は考えてません」と見栄(?)を張っていたが・・・。
TV版では地球でアムロと撮った写真を持っていた。
エマはアムロが理想だから、カミーユでもクワトロでもヘンケンでもなかったのだろうか?
いや、ララァやクェスが示したようにアムロとシャアは表裏一体だから、もしエマの理想がアムロなら
クワトロに惹かれても不思議ではないんだけど。やはりレコアがいたから近づけなかったのだろうか(笑)?
・恋人たち6
カツ−サラ;
最近、「女は腹黒い」って女性が言っているのを聞く機会があったのだが(笑)・・・。
まさにサラは腹黒いなと思ってしまった。でも、カツに自身を魅了させてうまく利用したのも
シロッコを慕ったが故と思えば、サラのシロッコへの従順な気持ちの現れを描いていて良いのかも。
それが恋愛感情なのか、尊敬なのか、シロッコのカリスマ性なのかは別にして。
・恋人たち7
カミーユ−ファ;
カミーユとファのシーンが思ったよりもあった気がする。
なんだかんだ言って、カミーユにはファとうまくいって欲しい。
幼なじみとうまくいく、というのは受け手側の(想い)希望。
例えば、のび太君としずかちゃん(笑)とかタッチとかが最たる例だが
日本人はそういうものに憧れる節があるし。
少なくともTV版では精神を破壊されたとはいえ、ΖΖでカミーユはファの献身的支えのもと
生きているし、最後にはファと楽しそうにはしゃいでいるように見えたので、
本当にこの線で落ち着いて欲しい。
でないと、カミーユのせいでグリーン・ノアを追い出されたり、散々振り回されている
ファがかわいそうだよ。
・恋人たち8
カミーユ−サラ;
ハーフムーンラブ。
カミーユはいつ大人になったんだろう?
サラにアイスクリームを買って食べさせるシーンなんて、フォウとの一夜ぐらいで
できるようになるとは思えない。経験豊富な男のできる事ではないだろうか、ああいうことって。
でも、この後にはロザミアにも見せるのだろうが兄貴的な愛情もありなのだろうな。
・恋人たち9
ジェリド−マウアー;
前述の通り。
マウアーの性格そのものが変わってしまったので評価しようが無い。
これも新訳Ζとして捉えることなの(笑)?
まっ、どっちしろジェリドは負け組なんだね。
・恋人たち10
クワトロ−ハマーン;
ラストシーンでのツーショット。
MS越しだけど。
この二人ばかりは次回作に期待である。でも「恋人たち」で扱っていない以上、
予想通りすでに恋人同士ではないんだろう。
どちらかの回想シーンとか追加されないのだろうか・・・?
ところで、宇宙に戻ったカミーユに「恋をしてきたでしょ?」とエマが問いかけないのは残念。
恋をして成長っていうカミーユが描かれていないのが。
恋愛から愛情へ。愛は恋人同士というよりも、夫婦そして親子の絆。
ステファニー・ルオは、なぜウォーン・リーの娘になったんだろうかという謎を解く鍵が
ここにありそうである。
TV版ではルオ商会で、「ルオ・ウーミンに会いたいのだが」と言ったアムロは、
ルオ商会のボディーガードみたいなヤツに襲われ、その後ステファニーに
「父の名前をあんなデカイ声で呼ぶなんてて」と注意されている。
ということは、少なくともステファニー・ルオの父親の名前はルオ・ウーミンであり、
ウーミンは自身の名前(姓)の付いた店を持っている。
映画版の設定では、ルオ商会はステファニー単独の店、あるいはウォン・リーの個人的商売
ということなのだろうか?でなければ、ルオ商会がアナハイムエレクトロニクスになってしまうではないか?
ま、宇宙のエゥーゴ、地球のカラバという対比のように、宇宙(月)のアナハイム、
地球のルオ商会なのだろうか?
それとも、親子愛の存在しないカミーユに対するアンチテーゼで、
ここを父娘設定にして家族愛を描いたのだろうか?
いや、それはおかしい。親子・家族愛は(ブライト・)ノア家で語られているし。
その普通の家族愛に対するアンチテーゼがウォンさんとステファニー・ルオなのだろうか・・・?
こんな邪推な考察しかできない・・・。
さて、ここまで登場人物中心に語ってきたがそれはΖが古くから大河(ドラマ)的と
言われてきた所以かも知れない。
せっかくなのでキャラクター(人間)から離れてみる。
まずは主役機・MSZ-006Ζガンダムがなかなか活躍しないことに驚いた。
ガブスレイの危機からカミーユを救ったアポリーさん駆るΖガンダム。
アーガマに配備され、パイロットがカミーユになるということは、
その時にアポリーさんのセリフで言われているけど。
配備された(はずの)Ζガンダムが全然出て来ないのが残念。
サブタイトルが「恋人たち」だから戦闘シーンが少ないのは仕方ないのか?
その割りに、(映画での)カミーユΖ初出撃の時は、これ見よがしにウェーブライダーに変形していた。
しかしながら、今作ではカミーユはMk-IIへの搭乗時間の方が長かったのではないだろうか?
例えばそのおかげでエマさんもMk-IIってイメージが薄かったし。
ところで、カミーユがΖの実機を初めて見たときにあんまり感慨深そうに描かれていなかった
ように思えたのは、カミーユがCADでΖの概念設計をしているところをアストナージが見つけるシーンが
描かれていなかったせいだろうか?
これも時間の制約とはいえ残念であった。
時間の制約のせいと私自身を納得させる部分がかなりあった。
どうしてそう思ったのだろうか?
例えば、(俗に言う)ファーストもTV版43話を映画3本にまとめているが、
ここまでカット部分が気になりはしない。
それはTV版も映画版も散々見た今でもそう思う。
ではなぜΖはなくなった部分が気になるのか。個人的にΖに執着があるためもあろうが、
私には別の理由があるように思える。
ファーストは43話のうち、わりとゆったりしている回が数話見受けられる。
対してΖは始めから終わりまで、内容が満載だったから、カットされた部分が目立ってしまうのだろうか?
さてそろそろ、本作「恋人たち」についてまとめの考察をしてみたいと思う。
ガンダムの中、Ζとして見ても、この「ΖガンダムII 恋人たち」の範囲は中だるみとまでは言わないが、
ちょっとストリー的には弱いかも知れない。(前述の内容満載という話と矛盾するが・・・)
戦略的に見て重要なのは、ジャミトフの議会工作とブレックス准将の暗殺くらいだと思う。
Ζガンダムという作品の肝である三つ巴の戦いになるのは、三作目だし。
これを受けガンダムの醍醐味の一つである主義主張を唱えながらのモビルスーツ戦が存在しない。
こう考えてくると、魅力の一つではあるが人間ドラマがメインの部分とならざるを得ないように思う。
そう言った目で見ていくと、ニューホンコンが核になるし、次回作への布石として
サラがシロッコの存在感を出すためのキーパーソンになる。
これらを限られた範囲で区切ると、確かに”恋人たち”という切り口になることも納得できる。
または、SEED系へのアンチテーゼ。ガンダムに好きだの嫌いだのの色恋話を持ち込んだのは、Ζがオリジナルだと。
どうせやるなら、ここまで壮大に描きなさいという富野監督なりのアンサーでは無かろうか?
<蛇足>
TV版エンディングロール、「星を継ぐもの」エンディングロールでは、
シャア・アズナブルが一番上に来ていたのに、今作はカミーユ・ビダンが一番上であった。
これが一番の衝撃であったかも知れない。
(TV版は全話がシャア・アズナブルが一番上だったという確認はしてないが)
<以下、完全に加筆>
・ヤザンの衣装について(笑)
ヤザンの新作カットは無かったのか?まさかシロッコの艦でのあの派手な衣装のまま
21世紀に再登場するとは思わなかった。
・月イチゴロー隠れ1位
SmaSTATION-5(テレ朝系)で稲垣吾郎が毎月の映画ベスト5を語るコーナー。
ノミネートが無かったが、もしあったら「1位」だったらしい、ΖIIが!
ジャニーズの現No.1グループのメンバーでもガンダム好きなのね。
・効果音
Ζのビームライフルは他と違う特殊な音を使っていて良かったんだけどTV版は。
誰が撃ったビームかわかるわけよ、音で。残念だなぁ。
そして、モビルスーツ(ΖだったかMk−IIだったか)の駆動音がRX-78-2と
同じになっていて残念。
終わり(DVD見た暁には加筆するかも)
<本サイト Ζガンダム関係の執筆>
・機動戦士ΖガンダムII 恋人たち 公開直前SP
・機動戦士Ζガンダム 星を継ぐ者 プレミアム試写会 鑑賞記
・Ζの鼓動 Rev.0
・機動戦士Zガンダム 映画化に関しての考察(2004.5.23記)
・Ζ本放送時の思い出
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