機動戦士Zガンダム 映画化に関しての考察




1.SEEDに乾杯!

 まずは、Zガンダム映画化に際して、SEEDに乾杯をしましょう!




どう考えても、この期に及んでのZ映画化のトリガーはSEEDだよね。
だってさ、2002年2月17日のトップランナー(以下TR)の収録では、Zを自身で酷評していたんだよ。
(注:以降、富野氏のTRネタに関しては、オンエアver.ではなく、3時間弱に及んだ収録風景を指します)
その酷評ぶりといったら、TR庵野秀明氏のナウシカ・巨神兵のアニメーションの比ではありませんでした。
万代等展開商品のために作った的発言の数々。

それから一年半後の昨年8月。事件は起きた。
といっても、ネット上ではその手の情報は入手できたのかもしれないが。
NTV系で月曜深夜にやっている「爆笑問題のススメ」に富野御大が出たときに、
(俺が思うに)今さらの如くファーストについて語っていた。
俺はその様に興奮し、リアルタイムでは確認できなかったのだが、同志Bよりの情報では、
番組内で流れた御大が仕事をしている映像=コンテをきっている、はZだと。
これがかねてより噂のあった、映画版Zでのコンテではなかろうかと。
俺は、すぐにRD-X2で録画してもらったその番組を再度再生した。

以下、自分自身のコンテンツより引用。

>5.富野コンテを斬る!

>なんてな。
>番組中、御大がコンテを描いてるシーンが挿入されたが、それがかねて噂のあった(らしい)
>Z総集編のものらしいと、巷(ネット上?)では盛り上がってるらしい。
>確かに番組中盤に挿入されたコンテは、サングラスといい髪型、そしてノーマルスーツらしき
>ものを着ていたのでクワトロと見受けられたが、番組冒頭の女性コンテは誰だったのだろう?
>今もHDDレコーダーを一時停止して確認しているが、一瞬フラウ・ボウやミライに思えるのだが、
>着ているものはノーマルスーツというよりもパイロットスーツだし。
>Zというなら、エマ、レコア、ファが考えられるが、誰にも見えない。フォウでもないし。

>でも今さらどうして、Zなの?あんなに自身で酷評していたのに!

>そしてもっとも気になることは、
> 主題歌は「Z刻を越えて」なのか「水の星に愛をこめて」なのかということ。
>私としては、「水の星に愛をこめて」に期待しているが。
>ちなみに、2005年がZの20周年ではなかろうか?公開はその頃か?



この時点でコンテ描いているのだから、製作初期段階か?
オンエアが8月中旬から下旬だったと記憶しているから、収録は遅くともこれより一週間前だろう。
映画化の企画が持ち上がったのは、2003年の春から初夏にかけてであろうか?

その間に富野氏に何があったのか?
簡単に時系列を追ってみよう。

2002.02 NHK「トップランナー」に富野氏出演(劇場版∀公開に際して出演。Zを酷評)
2002.09 WOWOWにて「オーバーマン・キングゲイナー」放送開始
2002.10 TBS系にて「機動戦士ガンダムSEED」放送開始
2003.09 NTV系「爆笑問題のススメ」に富野氏出演(詳細は、上記参照)


俺の邪念がそうさせるのか、俺が思うには端的に言ってSEEDが富野氏にZに向かわせたと
思わざるを得ないのだが如何なものか?


新世紀ガンダムと銘打って製作されたSEED。その思惑通り新たな顧客を開拓できたようだが。
オールドタイプと言われようが、俺のようなガンダムファンには徹底的に否定されているだろう。
かく言う私も、まったく見ずに批判ばかりするのも卑怯と思い、キッズステーションで放送された
のを機にSEEDを正面から(見ようとしても斜に構えてしまうのだが)鑑賞しているが・・・。
新世紀ガンダムと言っている割には、あからさまにいわゆるファーストガンダム(TV版)を
踏襲しすぎていて、かなりの嫌悪感を覚えた。
もう、「認めたくない、認めたくな〜い」と叫んだり、∀チックな髭を書かれるハロのことなんて、
ご愛嬌として許してしまいたくなるほど、耐えられないことが多すぎた。
この項を書いている時点で24話まで見ているので、約半分は見たのだろうか。
見ずに批判することにに後ろめたさを感じだ私は、その原因の一端とも言える同志Cに対する
ケジメのためにもSEEDに挑戦しているのだが。
新世紀ガンダムを名乗ってもいいけど、色んな新機軸に挑戦したとしても、そのファーストを
あまりに意識した作りを見ると、どんなにがんばっても所詮はファーストガンダムの呪縛(?)
から逃れられないということしか我々には見て取れない。
もっと砕けて言えば、要は富野氏のガンダムは誰にも犯せない領域だということか?
その犯してはいけないガンダム域を土足で踏みにじってしまう恐れがあったからこそ、
SEEDはストーリー展開の基本構造がファーストの骨格そのままに乗っていたのだろう。

ガンダム生誕20周年企画として作られた∀ガンダムにおいて、生みの親である御大自身が
ガンダムそのもの、そして数々の御大の手によらないガンダムすべてを肯定し、
そして自身のガンダムを含めてすべてのガンダムを一挙に(陳腐な言い回しだが)壊し
新たに創り出されたガンダム世界が∀であったはず。
すべてを含むという数学記号”∀”を使うことで、すべてが丸く収まったはずの
有象無象のガンダム群。

そこに白波を立てたのがSEEDだ。
まぁ、御大自身が「機動戦士」という冠をつけること許可したというから、御大自身にも
多少の責任はあるのかもしれないが、御大はあそこまでガンダムという名の作品が
ズタズタなものになろうとは思っていなかったのだろう。


私は、このサイトで何度も書いているが、「機動戦士ガンダム」の正式な後継作品は、
「機動戦士Zガンダム」以外何もない。
Z以前にMSVがあったとしても、それはあくまで一年戦争のサイドストーリーであって、
続編ではない。
「0083」は作品内容的にはファーストとZをつなぐものであるが、これは正史の空白部分を
うまく活用したに過ぎない。
と言うよりも、「0083」はもちろん、初OVAの「ポケ戦」だってZと言う作品があったから
こそ日の目を見られたものだと思っている。

ファースト・ガンダムを踏襲する形としてもZの形が理想であろう。
どこかファーストを彷彿させるところはあるが、骨格はオリジナルである。
ここが、同じファースト踏襲型のSEEDと決定的に違うところであり、恐れ多くも御大も
私と同じような思考が働き、”正しい”後継ガンダム作品を見せるために、Zに至ったのでは
なかろうか?
いかにSEEDがダメであるかを御大自身が示してくれうるだろう。そう修正してくれるのだ!


 まぁ、他にも御大自身後味の悪いZを元気なうちに手直ししたいという気持ちも働いた
のかもしれないが、それもSEEDというものがあったからこそそういう気持ちに動いたのかもしれない。


 御大はZをどう料理してくるのか?
これは、ルーカスがエピソード3を作るよりも難しくないか?
SWのエピソード3は、旧3部作へとうまくはなしが繋がらなくてはならないという制約はあるが、
あくまで新作・オリジナルである。
対してZは、一度結論づいた物語がすでに存在しているばかりか、直後のZZ、そして逆シャアという
続編への接続もSW以上にシビアである(物語上の時間軸の余裕がない)
ZZという歴史は抹消しますという発表だけはやめていただきたいものだ。

それから、エンディングロールのトップはやっぱり”シャア・アズナブル”だろうか?


(注:執筆にあたってNewtypeの表紙しか見ていません。)

(以上、2004.5.12記)


2.今わかっていること

私、現在、28歳。今年の11月で29歳になります。
そんな私が、「月刊ニュータイプ」を購入してしまいました・・・。
1項を書いた直後、5/13(木)に購入したのですが。

いやぁ、ガンダムエースはニュータイプ系の雑誌だが、まさか自分でも今さらニュータイプ
買うとは思わなかったよ。

さて、表紙。
我らが(?)Zガンダムの雄姿とともに、
映画化
決定!!
機動戦士
Z
ガンダム
とデカデカと書かれています。
その下に、黒字で小さく
>ボクらの「Zガンダム」が帰ってくる!
>25年目の新たな神話がここに生まれる

とある。

これだけでは、私の推測が正しいかどうかわからない。


さて、はやる気持ちを抑えきれずにページをめくった。
ビギニングZ
と名づけられた巻頭特集ページ。
劇場版 機動戦士Zガンダム
-星を継ぐ者-
とある。ふ〜ん、やはりサブタイトルが付くんだ。
「哀戦士」や「めぐりあい宇宙」ほどのセンスは感じられないが、実際に作品を見れば
しっくりとくることだろう。
この場合、星を継ぐ者は誰だ?やはりカミーユなのか?
でもなぜに星?星一号作戦から取ったの(笑)?
ちなみに、この特集ページは全4ページだが、その初めの見開き2ページは
右ページにクワトロ大尉、そして左ページにカミーユとアムロが並んでいる。
3人とも同じ方向(左方向)に体を向けているが、カミーユのみ読者の方に視線を向けている。
クワトロ、カミーユはエゥーゴの軍服を、アムロは地球着(?)の深緑のジャケット着用。
やはり私の予想通り、Z20周年の2005年公開予定のようだ。
さて、このページには前述のように黄色字でビギニングZとでかい字で書かれているが、
その下に小さく次のようなことが記されている。
>新たな観客に向けて、新たなときめきを招く・・・・・・
>時代の悲しみが頂点に達したとき、
>カミーユの純な瞳に、映し出されるものとは何か?
何?新たな観客って!
新たなときめきって?Zにときめき?フォウのこと?エマへの憧れ?サラ?ロザミア?・・・・


さて、落ち着いてCASTを確認すると・・・
カミーユ、クワトロ、アムロの声優はオリジナルのままだが。んっ?
順番がおかしい!
クワトロ・バジーナが先頭ではない!カミーユが先頭だ!
どういうことだよ?
TV版Zのエンディングロールはシャア・アズナブルが先頭ではないか!



次の見開き2ページに行って見よう。
右ページにMK-IIの雄姿。
左ページにはカミーユとクワトロが。
MK-II、カミーユ、クワトロには説明書きが付いているが、出展元(!)として、
当時のニュータイプの年度と号数が書かれている。
ちょっと手を抜きすぎじゃない?
でも、あれか「新たな観客」向けとしては、当時の何も知らない読者向けへの説明文が
適切なのか。でも、それってファースト知らなきゃ意味を成さなくないか?
「新たな観客」はファーストは見ているということ?
このご時世にファーストのみ見ている「新たな観客」っているのか?
確かに我々やその少し上の世代の中には、頑なにファースト至上主義がいるが・・・。
その人たち向けってわけでもあるまい。

またまた落ち着いて記事を読んでいこう。
>大スクリーンに向け
>改めて問われる
>「刻の涙」の進化
>'85年にTV放映された「機動戦士Zガンダム」が帰ってくる。
>それも全3本の劇場映画となって!
やっぱり3本立てなんだ。安心。
無理に1本になる内容じゃないし、かといって劇場版∀のように2本立てにするにしても
前後編をどこで分けるのか心配だったし(?)
「星を継ぐ者」以降のサブタイトルも早く知りたい。


>これは単なるリバイバル上映ではない。
>「ガンダムSEED」を楽しむ新たな時代のガンダム世代にこそ向けて送る出される、
>最新のガンダム映画体験なのである。
(一呼吸)
なにぃっ〜!
俺(注:ファースト以降宇宙世紀ものを見てきた者達、複数形)向けのZガンダムじゃないの!
何でSEEDを楽しむ新たな時代のガンダム世代向けなの?
そんな連中に俺の聖なる(?)Zガンダムを犯されたくない!
SEED→Zの流れじゃ絶対にZは理解できないよ!
いくら小4(10歳)の俺だったとは言え、Zを理解するのに数年を要したんだよ。
ファーストを見たという下地があってだよ!
あんなガンダムという名をを冠した軟弱恋愛アニメで育った世代に、硬派なZは理解できないし
ブタに真珠・猫に小判だよー!
あぁ、そうか。だから、
>新たな観客に向けて、新たなときめきを招く・・・・・・
となるのか。SEED向けだからガンダムらしくない「ときめき」なんて書くのね。
ニュータイプもすさんだねぇ。
SEED世代の読者に媚びて記事を書くようでは。

でも、理由はどうあれ、SEEDがトリガーだったんだ。


>こうした(筆者注:←カミーユと両親の人間模様)親子関係や、
>先輩・後輩の構図(筆者注:挫折と苦悩を経験したシャアとカミーユの若さの対比)は、
>この'04年現在、どこにでも見受けられるものではないだろうか。
>「Zガンダム」は、現在を生きる「あなたと私」の物語。
>だからこそ、見るに値する作品なのである。
さすがにニュータイプの編集者もオールドファンに気を使ったのか?
さすがの私も多少は溜飲が下がる思いだ。
現在を生きる「あなたと私」の物語ってくだりが気に入った。
ちょうどBGMが「星空のBelieve」だったのも幸いしたかも(笑)
でもね、ちょっと真面目モードになると。
涙が流れそうになるのも恐れずに書こう。
当時、ZをZZを一緒に見た隣のお兄ちゃんはもう居ない。
まさに星となって2005年の新生Zガンダムを一緒に見てくれるだろう。


傷心モード終わり。
今年29歳になる私は、「逆シャア」のアムロの年齢である。
νガンダムを駆ってアクシズの落下を食い止めるなんて役どころ回ってこないし(笑)、
大した仕事してないけど、胸を張って生きて生きたい(?)
志を貫けず悶々としているクワトロ・バジーナ(シャア・アズナブル)に近いのかな、
ここ数年の俺は。
でもネオ・ジオンも興せそうにないので、カミーユでも探し出すか?
(シャアに自分を当てはめるなんて生意気だって?アストナージかな仕事的に、笑)
文章が発散してきたので、このあたりで終了。
新たな情報が得られたら、追って更新していきたい。

(以上、2004.5.23記)


戻る