1989年 中学2年 14歳 <後編>

 この年は実に色んなことがあったものだ。それも一重にガンダム生誕10年だったから?
それともこの頃の記憶のシナプスの重みが大きいのだろうか?

 さて、この頃の私の学校で使う下敷きは「逆襲のシャア」を見に行ったときに買った
ものであった。表面は、地球を背景に連邦・ネオジオン両軍のモビルスーツがνガンダムを
中心にこちら側に向かってくる構図であった。(ちなみに同じ構図のポスターが部屋に貼ってあった)
で、問題が裏面である。いわゆる登場人物のラフスケッチが載っていた。
(この場合シャアを先頭に持ってくるべきだろうが)アムロ、シャアを中心にブライト・レベル(?)までの
キャラクターが載っていた。で、何が問題かというと・・・。
ここにこれから書く事実は、当時の同級生と高校時代の一部の友人しか知らないはずだ。
この分を読んだ、特に現在連絡が取り合える人々は、この事実を知ったとしても広めてはならない。
まぁ、このHPの存在をすでに知っている連中は、今さらここが更新されているとは思わないだろうが
そう言う意味でも、一部公開後、書き足すのがちょうど良いのかもしれぬ。
 いや、待て、これは見ず知らずの人にさえ、批判され、ブーイングが飛んでくるかもしれない。 だが、敢えていおう、カスであると、じゃなくて事実を。

 当時、私は教室の一番前、(男子列・女子列をまとめて一列とすると)廊下から二列目に
座っていた。別に目が悪かったわけでも、問題児だったわけでもない。くじ引きでそこになったのだ。
ある休み時間下敷きを出したまま席に座っていた。すると前のドアから、同じクラスのサッカー部の奴(#7)
が入ってきて、私の席の前にかがみ込み、下敷きを見た。「ガンダム好きなの?」「うん」
(彼、裏面を見る)「アムロにそっくりじゃん」「・・・」
我思うに、ただ髪がウェ〜ブがかってるだけじゃん、どっちも・・・。
中学時代というのは、部活加入率が高いので結構同学年他クラスへの
情報の伝達度は速いものである(今考えると)。
瞬く間に、私はアムロと呼ばれるようになった。ちなみに、当時の私には小学校時代からの
あだ名もあったし、またこの後、もっと最悪なあだ名も付けられる。
(あれっ?俺ってひょっとしてイジメの対象者だったの?
おめでたい奴だ!?)

 そして、これに関して笑い話がある。この年はテレ東で毎朝Zをやっていたと書いたが、
ガンダム→Zと続けば必然的に次はZZである。
 次の事件は夏休みに起きた。ちょうどZZがやっていた。私の回りの連中はZZを観てから
部活の練習に来ていた。
 さて、夏休みと言えば、部活の練習と共に塾の夏期講習である。
ここで新たな人物に登場いただく。私の中学時代の良き友であり、
最大のライバル(一方的に思っていただけかもしれないが)であった友人(#8)。
う〜こう書いただけで、色々な記憶が走馬燈のように思い出される。
フォウを初めとする強化人間が”記憶”で苦しむように・・・

 う〜ん、友人(#8)ついてちょっと説明せねばなるまい。
 彼はいわゆるエリートである。まぁ努力していたのは事実だし、それに影響されたとこもあるし。
(すでに、この文章のカテゴリーは俺のガンダム史を越え、単なる自分史と化してきている)
小学校も同じであったのだが。一度も会話したことはなかった。と言うよりも、小学校時代の
彼は私の手の届くところにはいなかった。同じクラスでなかったと言うことも一因しているが。
彼はサッカー部であった。その実力は・・・。Jリーグが開幕した頃のバブル的騒ぎが嫌いだったのも
彼のせいだよね、きっと。彼は市の選抜チームに選ばれていたどころか、県の選抜にも入っていた。
一応、プロ以外(つまり下は小学校から上は大学まで)は全国を制覇したことがある(←私の弟曰く)、
あまり知られてはいないがサッカー大国の県でである。(プロも2チームあるし・・・)
 加えて、頭脳明晰(!?)、容姿良しであった。背だけは私の方が高かったが・・・。
アムロやカミーユ並に、内向的(?)な私は、当時よく「何が”天は二物を与えず”だよ、三物も与えて」
と思っていたものだ。「僕の方がもっとうまくガンダム扱えるんだ!」的なことを言えたとすれば、
「僕の方がほんの少し数学得意なんだ!」としか言えない。それもケースバイケースだったし。
で、まぁ彼についての説明はこれくらいで止めておく、何か色々ネチネチと嫉妬心ばかり書けそうだから、
今さらだけど・・・。

 当時、私と友人(#8)は同じ塾に通っていてクラスも一緒であった。
だが、優秀なサッカー選手でもあった彼は合宿だか試合だかで、夏期講習にしばらく来られないでいた。
で私が宿題か何かのプリントを預かっていて部活の練習時に渡す手筈になっていたのだった。
ちなみに、私はサッカー部ではないぞ。全てに彼と同じ土俵で戦っていたら、余計劣等感に悩んだだろう・・・。
 私たちの部がウォーミングアップで校内の大回りを走っていたときである。サッカー部の部室前を
横切ったとき友人(#8)が走っている私にそのプリントに対し「紙は?」と聞いてきた。
それを聞いた周りの連中(うち一人は0080を貸した#5)はZ→ZZが再放送されていた時勢も手伝って
「カミーユは?」と聞こえたらしく、かなり大受けしていた。
 だが、優秀な友人(#8)はガンダムなんて興味ないのでそんなこと言うはずはないし、
私はプリントが求められていることがわかっていたので、説明したのだが、
誰一人としてわかってくれなかったと言うよりも、敢えて認めなかった。

 そう、私が彼にどうしても勝てなかったのは、”子供”だったからかもしれない。と今思ったが、
同じことを高校時代にも考えて、一時期「ガンダム」封印令を自ら下したものだが、
理系の道に進むに連れ、自分は別に間違っていなかったと思うようになった。
この文を読んでいる奇特なあなたもきっと同じはずだ。それほど、ガンダムは偉大なのだ。
一時期「理系離れ」が声高に叫ばれていたが、少なくとも我々の世代には幼児期・幼少期
に洗脳(?)されたおかげで、理系の道に進んでいるのだ。
この辺の話は別の機会にしたいが、俺の理論を覆す人物に出会ったときはショックだった。
文系でガンダマイズされた人物は、地球連邦政府を興し、人類総移民計画を推し進めるべきだ。


 さて、文章構成も練らずに、思いつくままつらつらと、
枕草子か徒然草(はちゃんと構成されいると思うが)の様に書いているので、滅茶苦茶だが、
そんな一時的にしろ、アムロと呼ばれた私がaznable.netドメインを取得しているのである。
ブーイングが飛んできそうでしょ。だが、このHPをくまなく読めば、なぜシャアなのか
わかってもらえるともう。いや、本来ならばシャア・アズナブルよりもキャスバル・レム・ダイクンだろう。
だが、シャア自ら、ネオ・ジオンはシャアとして興しているので良しとしよう。
そうすると不思議なのがダ・カールの演説である・・・(この話は別の機会に)。



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