1979年 幼稚園年少組 4歳

 「機動戦士ガンダム」放映開始
 当時、私は4歳になる年であった。私は3年制の幼稚園に通っていたので、
幼稚園の年少組であったはずである。私は、この記念すべきリアルタイムでの
放送をみていたのだろうか?
 少なくとも、幼稚園に通っている頃にガンダムを見た記憶は鮮明に残っている。
夏場に、テレビを見た後、遊びに来ていた祖母と幼稚園近くのおもちゃ屋「おもちゃ屋か○べ」に
ガンダムのおもちゃ(MS消しゴム人形?)を買いに行った記憶があるからだ。

 また、当時の私の交友関係を思い返してみると・・・。
普段よく遊んだのは隣に住む3つ年上のお兄ちゃん。
幼稚園での親友(#1)には、2〜3歳離れた兄と8歳離れた兄がいたのだ。
当時の遊び道具の主流と言えばレゴ・ブロックであったり、
自分の年齢が低すぎたきらいもあるが、間接的に周りのお兄ちゃんたちから
ガンダムの話を聞いてリアルタイムで見ていた可能性は充分に考えられる。


1980〜1981年 幼稚園年中/年長組 5〜6歳

 そんなわけで、私が見た”最初の”ガンダムが79年のリアルタイムであったのか、
それとも以降の再放送版を見たのかは定かでないが、前述のように幼稚園時代に
ガンダム経験したのは確かである。


1982年 小学1年 7歳

 この年、初めてのガンプラ”1/144 RGM-79 GM”を購入。当時の付属セメダインは、
その存在感が少なく、幼少の私はそれがセメダインであることに気づかず、
セメダインが付属していないと認識し、かつセメダインだけを買いに行く勇気も
気力も、お金もなかったので、仕方なくセロテープにより、GMを組み立てた・・・。
もちろん、ニッパーなどの存在も知らず、ハサミを使ってパーツをランナーから
はずし、カラーも塗らなかった。
 また、当時は一大ガンプラブームであったため、意中のガンプラを
手に入れることは困難であったように思われる。週休2日という概念が
存在していなかった当時、土曜日の午後、地元一進んだおもちゃ売場(旧名「丸興」
あるいは「リブ」、現パ○ィオ)で購入。
多分、当時の私はガンダムが欲しかったはずである。が、その時は、
GMと武器セット、それからMA位しかなかったのであろう。
仕方なしにGMを買ったという感は否めない。

 また、この年、隣り駅のスイミング・スクールに通い始める。
(#2:一見、ガンダムネタには関係ないと思われるかもしれないが、
これは後々、いや今の私にさえ影響している)


1983年 小学2年 8歳

 この年の夏休み初旬、親友#1とスイミング・スクールの夏期合宿に通う。
(スイミング・スクールには一人で通っていたが、この年の夏期合宿だけは
親友#1と通った。)
 この夏期合宿後半あるいは最終日、親友#1のお母様より
ガンプラを買っていただく。親友#1は1/144ガンタンク、私は1/144ザクキャノン
を買っていただいた。


1985年 小学4年 10歳

 この年、いや前年末かもしれなかったが、同じ小学校から
同じスイミング・スクール#2に通っていた同級生から”新”ガンダムが
始まるとの情報を入手。ボンボンに情報が載っているというので、
立ち読みする。確かに、新たなるガンダムが放映されるようであったが、
10歳にすらまだなっていなかった私は、名古屋テレビの”名古屋”が 気になり夜も眠れなかった(本当か?)

 そして、待ちに待ったZガンダムが始まったのだった。オープニング
「Z刻を越えて」とともに黒い顔のガンダムにどれだけ鳥肌が立ったことか(!?)

 だが、悲劇はここから始まったのだ。
前述のスイミングスクール#2は、ず〜っと土曜日の14:30〜15:30であった。
余裕でZの放送時間に間に合っていたのだが・・・。
 どういうことか、練習をがんばったおかげか、皮肉にも進級すると
練習時間が15:30〜16:30となってしまったのだ。10歳前後の私は着替えることさえ
成人に比べ遅く、その他諸々子供速度で動いていたため、Zの時間に帰宅することが
できなかった。
 そのため、私はゼータはリアルタイムでは全話数の半分くらいしか
見ていないように思う。(#3)

 そう、私はゼータが見たいがために水泳をやめたのだ(!?)。
まぁ、半分事実で半分嘘だが。進級したのだが、なかなか上達できず、
子供ながらに限界に達しそうだったということもあった。これが8割方の
理由であるし公式理由であるのだが、私の幼心の奥深くには、ガンダムを
見たいという気持ちがあったことは嘘ではない。
 不確かな記憶によれば、レコアがシロッコ側に転身した頃にはゼータに
復帰(!?)していたように思う。

 だが、やはりリアルタイムで見られなかったためかゼータには異様なほど
執着心がある。
 この執着心については後述する。


1986年 小学5年 11歳

 そんなわけで、見事ガンダムタイムに復帰できたため、ダブルゼータは
プロローグから「戦士、再び」まで見ることができた(はずである)。

 子供心に、ゼータの終わり方は気持ちの良いものではなかったが、
かといってダブルゼータの前半は子供心に違和感があったように思う。

 しかしながら、ファやヤザンの存在がゼータからの視聴者を引き留めて置いたのだろう。
そして、アーガマが地球に降下した後の、ガンダムチームのアフリカ横断などは、
旧ジオン軍がMSV的で魅力を増していったようにも感じていた。


 ちなみに、小学校時代、夏休みや冬休みにやっていた映画版ガンダムは欠かさず
見ていた。


1988年3月12日 土曜日 卒業間近の小学6年 12歳

 (あ〜あ〜、新世紀早々、何書いてんだろう)

 そう、この日は逆シャアの公開日だよ!
 うぅ〜、日付違っていたら情けないなぁ。

 まぁ、この頃は”逆シャア”なんて略すことなんてなかったけどなぁ。
それよりも、どうして「シャアの逆襲」でなく「逆襲のシャア」
なのか真剣に考え続けたものだ。
 そして、その後、数年後(?)に得た結論は。「シャアの逆襲」ではあくまでも、
名詞”逆襲”を”シャアの”が形容しているにすぎない。
 が、「逆襲のシャア」とすれば、あくまで主となる句は”シャア”であり、
”シャア”を”逆襲の”が就職している形となり、物語の趣旨を的確に捉えて
いるのだ、と。

 さて、公開日初日に見に行った逆シャアだが、まだ小学校の卒業式は
終わっていなかったし、今日のように隔週週休2日などなかったので、
半日を学校で過ごした後で、地元の(寂れかけた)映画館に行った。
 そして、私達(クラスメイトと行った)は自分たちの甘さに衝撃を受けた!
まさか立ち見になるとは・・・。それまで、その映画館でいわゆるヒット映画は
何度か見たことがあったが立ち見は初めてだった。確かに公開初日であったが
都心でもないのに立ち見になるとは思っていなかったのだ。

 そしてもう一つ悔やまれてならないのが、前売り券に付いてくるテレカだ・・・。
前売り券にはテレホンカードが付いてくる、それを知って買いに行った前売り券だったが、
子供の私は知識が足りなかった。地元の西友のチケット売り場で買ってしまったのだ。
そう、映画館で買う前売り券でなければテレカは付いてこなかったのだ。
ちなみに、この失敗は3年後、見事に活かされた(#4)・・・んっ?

 だが、まぁゼータもダブルゼータもだが、一回見ただけでは(年齢的に)理解
できてなかったなぁ。純粋にアムロvsシャアを楽しんでいただけだったような気がする。


1989年 中学2年 14歳

 まぁ、実際はまだ学年的には中1の頃、新聞の広告に「機動戦士ガンダム」
の文字を見つけた。副題は”閃光のハサウェイ”。もちろん、すぐに買いに走った。

 「閃光のハサウェイ」、ゼータに匹敵するほど、いやゼータ以上に悲しい物語。
カミーユは続編ダブルゼータで復調の兆しが描かれていたから見る方としても
救われている。(逆に言えば、ダブルゼータを嫌う人にはこの辺りに着目して欲しいのだが)
だが、「閃光〜」の言いようのない悲しさは・・・。一年戦争からずっと見てきた
ブライトさんが不憫でならないよな。もう、ノア一家について書かれた物語は
ないわけだし。

 だが、暗さ・悲しさを差し引いても私は好きな作品である。冒頭のハイジャックシーン
の描写がオーストラリアの空の青さを鮮明に想像させている。他にも、映像が
ない作品だけに自分の中の想像の絵がかえって印象深くしているのかもしれない。


 ちなみに、小学6年頃からこの年くらいにかけ、小説版を読みあさり
富野思想を徐々に理解して(いるように思っているだけかもしれないが)
いったように思う。


 そしてまたこの年、テレ東で毎朝7:20くらいからTVシリーズの再放送をしていた。
それまでより家を出る時間を5分遅らせ早足で登校してまで毎朝じっくりと見続けたものだ。
もちろん一緒に通っていた友達と「見た?」から会話が始まったのは言うまでもない。
 また、#3のような理由からゼータをきちんと全話見たのはこの時が初めてである。
(まぁ、小説版は読んでいたんだけどね)
 

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